【日産・スポーツカーの系譜 その6】

日産自動車(創立時の社名は自動車製造㈱)の創立は古く、昭和8年(1933)に遡ります。

GMが1908年、フォード社の1903年、ヨーロッパ各国の代表的メーカーが、押しなべて1890年代の末葉にスタートしているのに比べるとかなりの後発になりますが、それでも社歴は半世紀を越えました。

創立者は、鮎川義介さん。

昭和の初期、日産コンツェルンを結成、その総帥として日本の産業界に風雲を巻き起こした立志伝の人です。

日産コンツェルンの頂点に立つのが日本産業㈱で、これは昭和3年の創立です。

大衆資金による、いわゆるホールディング・カンパニー(持株会社)を業態とします。

日本産業の傘下企業に日立製作所、日本鉱業等があり、自動車製造㈱もその一つとして生まれました。

昭和8年当時、親会社日本産業㈱の事を、証券市場では略して『日産』と呼んでいました。

株式市況を伝えるラジオが『日産○円、○円高(安)』と報じていたのを、筆者も子供のころ耳にした記憶があるのではないでしょうか。

昭和9年6月、自動車製造㈱は出資構成の変更に伴って社名変更の必要が生じました。

この時鮎川義介の発案で世間が慣用する親会社の略称を採り、『日産自動車』の新社名が生まれたのです。

【日産・スポーツカーの系譜 その5】

スポーツカーとは、ここでは公道上のドライブを楽しむスポーツタイプの車を指します。

日本でのそれは戦前の一時期、オオタ号のバリエーションなどに見られました。

が、それもたちまち戦時体制に押し潰されて消えました。

従って日本でスポーツカーの花が開くのは、昭和40年前後の時期から以後の事になります。

その先頭に立って、スポーツカー志向の機運に火を点じたのがフェアレディであることは、本稿でお分り頂けたと思います。

ジェームス・ディーンが存命であれば、ひょっとしてフェアレディに美女を乗せ、走りまくる情景が見られたかもしれません。

それはともかく、日本のスポーツカーの開発から普及まで、この分野をリードしたのは日産自動車です。

不毛の地に種を蒔く仕事は、第一に根気、第二に情熱、そして第三に莫大な費用がかかります。

昭和27年のダットサンDC3型から、フェアレディに到達するまでの10年、日産自動車とて社内にはそれの推進を批判する意見も出たろうし、またあって当然です。

それにもひるまず、10年の歳月にも耐えて、ついにフェアレディの花を咲かせた関係者の努力に、改めて深い敬意を表したいと思います。

最後に次回の記事で会社名「日産自動車」の由来についても述べておきましょう。

【日産・スポーツカーの系譜 その4】

翌37年10月に市販が開始された事は、先日の記事に述べました。

こうしてみると、最初のダットサン・スポーツDC3型から、フェアレディー500に至るまでに10年の歳月が流れた事になります。

この間に日本の自動車をとり巻く国情も大きく変わりました。

経済成長の波に乗って自動車メーカーは力を蓄え、その後に迫る開放経済体制への対応に備えました。

国産乗用車の商品性はもはや昔日の談ではなく、昭和30年代の前半において、今になお盛名を持続するクラウン、スカイライン、コロナ、ブルーバード、セドリックを誕生させています。

そして38年5月の鈴鹿サーキットにおけるGPレースを契機に、スポーツカー志向の機運を盛りあげたのです。

お互いの暮らしは、何百、何千ともしれ組商品群に支えられて成り立っています。

何が有用で、何が不必要な商品か、の選別は、もちろん個入差があって一概ではありません。

一方、人間の暮らしに奉仕する商品の側から見れば、世に出る(盛んな消費を呼ぶ)までに、様々に異なる条件のコースを歩むものであります。

商品を試すきっかけを

実際にその商品を試すことによって納得させたり、プレミアムを提供することによって決断させるといった、直接的に購買の動機づけをする手法や、工場を公開することによって、自社への好意・信頼を求め、間接的に購買に結び付けようとする、などの広告の手法がとられることになります。


外壁リフォームではこのような手法は、直接・間接を問わず、購買を促すために消費者にたいしてとられるだけでなく、同様に販売を円滑に促進させるために、販売店や自社内関係者にもとられるものです。


今度は、セールス・プロモーション活動の主要な手法について、個別に概説しようと思います。

【日産・スポーツカーの系譜 その3】

従ってこの段階で日産のスポーツカー国内販売は中止されました。

やはり国内でのスポーツカー販売は、時期尚早と判断しなければならなかったのでしょう。

またもう一つの特記事項は、このモデルに至って初めて『フェアレデー』のペットネームが命名された事です。

ただしこの時のネームの末尾は『レデー』で、のちの『レディ』とは一字異なります。

エンジンが1189cc、43psと大きくなり、最高速度も125km/hへとアップしました。

そしてフロントのサスペンションにトーションバーによる独立懸架を採用するなど、性能機構ともにスポーツカーの形態を整えました。

フェアレデーSP212型は、その年(35年)10月、ブルーバード1200のエンジン出力が55psへと改良されたのに伴い、それを受け継いでSPL213型となります。

これに伴い最高速度も130km/hにアップします。

輸出専用車として一段と商品力に磨きがかけられていきました。

ここまでが、日産・スポーツカーの前夜物語です。

この後に続くのが今回の主人公ダットサン・フェアレディ1500で、昭和36年のモーターショーにデビューします。

【日産・スポーツカーの系譜 その2】

しかしひとたび商品化された以上、その商品にふさわしいCMが案出されなければなりません。

当時の宣伝文句には『スポーツカー時代の到来』が謳われたましたが、日本国中どこにもそんな気配はまだ生まれていません。

当の日産自身、本気になってそう思い込んだわけでもありません。

その証拠に、このS211型はデビューから半年後の34年末に生産が打ち切られました。

この期間に製作された台数は合計20台です。

さて3代目に当たるのがSPL212型です。

このモデルは前作S211型をモデルチェンジしたもので、昭和35年1月に登場します。

シャシとエンジンは34年8月に発売されたブルーバード1200のものを利用しました。

2トーンカラーのスタイルはS211型と同じながら、ボディ材質がスチール製となります。

最大の特徴は仕様面で、生産車は全て左ハンドル、つまり輸出専用車に生まれ替わったことです。

【日産・スポーツカーの系譜 その1】

DC3型に次いで登場するのが、ダットサン・スポーツS211型で、昭和翠6月の発売です。

ダットサン・セダン2・0型のシャシとエンジンにプラスチックボディを組み合わせたもので、988㏄、34郡へと出力を増し、最高速度115㎞/hです。

当時ヨーロッパの小型スポーツカーが普通160㎞/hであったのに比べるとかなりの差がありますが、それでも格段の進歩があります。

丸味を強調したボディに、ホワイトと真紅の2トーンカラーがよく似合いました。

このモデルをデザインしたのも太田さんなのです。

プラスチックボディは、国産車では初めての試みであったのです。

ガラス繊維に液体プラスチックを流し込み、何枚も張り合わせたもので、この研究には日東化学が協力したそうです。

『将来のプラスチック時代に備えて実験的にやってみた。

ボディの重さが鋼板の半分なのでスピードが出る。

それでスポーツカーを作ることにした』と日産研究部の談が伝えられましたが、これが開発の真相であったのでしょう。

納得したこと その5

日本経済・産業・企業の効率化を進めるについては、その効率を測るものさしが欲しいものです。

ある研究所のモットーとしているガリレオ・ガリレイの「測定できるものはすべて測定せよ、測定できないものは測定できるようにせよ」との言葉どおりです。

そこで、すぐにできることは企業の効率化です。

企業は資本・労働・経営の三つから成り立っているので、そのおのおのの効率いかんということになり、それを測るものさしをつくるべきです。

資本については総資本利益率で、労働は人件費一円当りの利益や付加価値をものさしとして、国際的に他の企業と比較することができるとある企業独自の新方式で、それぞれの効率がどの程度の一にあるか、それに応じて分配される利潤分配の位置もはっきりします。

この二つを総合し、さらに企業の資産状態とか、成長性なども勘案して、企業効率が出るものさしをも作りだせるだろうと・・・とのことです。

納得したこと その4

一般に「イノベーション」とはテクノロジー分野での技術革新と理解されていますが、ここでいうのは仕事のやり方―ーテクニックを革新していくことです。

これもまた、大事なイノベーションだそうです。

全社員がそれぞれの仕事のイノベーションをやっていけば、宝や鉱脈は、まだまだ数限りなくあります。

この宝探しをやり、鉱脈を掘り起こすのに、いちばん大事な考え方です。

精神は何かといえば、これは「企業家精神」です。

企業家精神とは、イノベーションによって、新しい産業を開発していくことですが、「仕事の新しいテクニックを考え出し、革新していく」のも、またイノベーションであり、それもまた「企業家精神」だそうです。

納得したこと その3

経営を〈カン〉でやるといえば、いかにも非科学的な経営者のように思われますが、決してそんなものではないと考えられています。

科学的接近法というものがあります。

それは「PLAN DO SEE」です。

まずがっちりと計画してから実行する。

そしてその結果を検討するというのが、科学的な方法だといわれています。

経営の仕事でいえば、

1.情報の収集をする
2.その情報を分析する
3.それをもとにして計画を立てる
4.その計画を実行するための組織をつくる
5.その組織に命令をだし、かつ管理をする
6.その結果を再検討する
7.そして手直しをする

という順序になります。

これをマネージメント・サイクルというが、手直しをするためにはまた、そのための情報を収集し、分析してという具合に、経営者はいつもこのサイクルを繰り返しているのです。

寝ても覚めても、四六時中、夢のなかまで、このマネージメント・サイクルを繰り返しているのであるから、当然、だんだんとこのサイクルの時間が短縮されてきます。

何年か、あるいは何十年かの繰り返しの熟練によって、ついにはそのサイクルが、一瞬にして完結されるようになります。

そうなったとき、私たちはそれを〈カン〉というにすぎないですから、〈カン〉とは最も科学的なものであるといっても、決して誰弁ではないと思われます。

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